こんにちは。
と言っても、最後の更新から半年以上もたったので、覗いて下さる方がいらっしゃるかどうかわからないのだけれど・・・。
いろいろありながら、ひろみママとりあえず元気でおります。
すっかりブログとご無沙汰してしまったので更新がおっくうになりがちです。
母亡きあと、実家を兄のひとりが守っていてくれましたが、老朽化により、いよいよ取り壊すことになりました。
で、内部整理に実家へ通っています。
小さなしもた家なのに、家族7人の残したごちゃごちゃした道具、品物が多く、思い出のあるものも多いから
なかなかはかどりません。
つい最近もこんなものが出てきました。
母は女学校時代がよほど楽しかったらしく、いろんな話をしていましたが、修学旅行の思い出も印象深く、当時は珍しかった船旅もあったのだ と言っていました。
旅行先は関西だったけれど帰路は神戸から客船に乗って横浜まで帰ったのだと言いました。
当時の校長が先駆的な人で、「君たちはは卒業したらすぐ結婚する人もいるだろうが、将来を担う立派な日本人を育てるためにも、母親たるものはいろいろ経験して見分を広めておかなければならない」と言って、船も一等客室をあてがわれたのだと言うことでした。
聞いている私は、ふうん、そんないい経験をしたのねー・・・とただ聞き流してていたのでしたが、母の行李が出てくると、こんなものが入っていました。
これを見たときはびっくりしました。
よくまあ、80年以上もまえのメニューがとってありましたねえ。
戦争も疎開もあって何度も引っ越ししているのに、よほど大事な思い出だったのでしょう。
日付も入っています。くしくも5月1日は母の誕生日です。
献立は、オードブルにコンソメかポタージュ、ゆでタラのカーディナルソース添え、羊のタンを蒸して炒めたものにナスの詰め物・・・なんちゃらと続いて最後はコーヒーでしめているようですね。
途中で訂正しているのは 長豆(?)をやめてセロリにしたんですって。
がらくたは捨てなくちゃいけないけれど、当時はなんてことなかったただの紙がこうして珍しくなるのだから、整理というのもhんとに難しいことです。
ちなみに、上部の美しい絵は絵葉書になっていて、切り離して使えます。