早いもので、あっという間に小正月も過ぎた。平穏な一年を、と願ってもそうもいかない日々が続いている。
近くの公園へ行ったら、カモたちが半分凍った池の氷上に乗って羽を休めていた。でも、寒そう~~。
正月早々、成人式の晴れ着を着られない人たちが続出した。ほんとにひどい会社があったものだ。
まさに一生に一度の機会、さぞ悔しかったろうと思う。
そのせいかどうか、新聞などの投書欄に成人式の晴れ着に関する投書をよく見かけた。
祖母、母、娘三代で同じ晴れ着を大事に受け継いで着た人、余裕がないのに晴れ着を作ってもらったと感謝していた人、晴れ着で病床の祖母を見舞った人、またテレビでは車いすの人でも容易に着られる振袖をデザインして喜ばれた人が放映された。女性が振袖を楽しむという思い入れの深さには感じ入った。
なるほど、晴れ着には人それぞれ思いが込められているのだと改めて思った。
そう思いながら晴れ着に(自分的に)あんまり頓着しない自分がちょっと変?まあいろんな考えや感じ方があるからね。
はるか昔の私の成人の時、式には行かなかった。
母は私のために振袖を作ると言ってくれたが、「いらないからお金で頂戴」と答えて叱られた。もちろん両方なし。今にして思えば、着物好きの母のために着てあげて親孝行すればよかったかなとも思う。
こんな私なので、自分の娘の時は「成人式に民族衣装を着る経験をするために晴れ着を作りますか?それとも短期留学しますか?両方は経済的に無理なので」とたずねた。
娘はイギリスへの短期留学を選び、そっちのほうの経験をしてきた。
息子たちの場合はスーツで済んで楽だった。留学もなかったから娘だけ贔屓したことになったけど。
何に思い入れを抱くかはそれぞれの価値観だ。
こんな母娘なので、二人とも事情により婚約指輪はなし。
テレビドラマなどで求婚の時、指輪を差し出す場面を見ると二人そろって「そんなに指輪が欲しいかね」。
ね、母娘で可愛げがないったら・・・。